オープンマリッジ――夫婦がお互いに合意し、他の人とも恋愛や関係を持つという新しい結婚の形。
自由で新鮮に見える一方で、実際に挑戦した夫婦の中には、深い傷を負ってしまうケースも少なくありません。
今回ご紹介するのは、日系大手メーカーで営業職として働くお淑やかなタイプのKさん(当時34歳)の体験談です。
可愛い系で主張が得意ではなく、相手の意見を優先してしまいがちなKさん。元夫にオープンマリッジを提案され、「気持ち悪い」と強い嫌悪感を抱きながらも拒絶しきれず、受け入れてしまいました。
しかしそれは、彼女の心をどんどん追い詰めていくことになります。
最終的にKさんは耐えきれず、36歳で離婚という決断に至りました。
ここからは、Kさんご自身の言葉で、オープンマリッジを経験し離婚に至るまでの過程をお伝えします。
出会いと結婚 ― リードしてくれる人に惹かれて

私は日系大手メーカーで営業職として働いていました。
見た目は「可愛い系」と言われることが多い一方で、自分から強く主張するのは苦手で、恋愛でも相手の意見を優先してしまうタイプでした。
元夫と出会ったのは、友人に誘われて参加した合コンでした。
元夫は大学時代からインカレテニスサークルで飲み歩き、いわゆる“飲みサー”の中心にいた人。顔立ちはまあまあイケメンで、場の空気を掌握する自信に満ちていました。
当時34歳、商社の駐在から帰国したばかりで経済的にも余裕があり、女性をリードする押しの強さを持っていました。合コンでも迷いなく場を引っ張り、私が少し迷ったり躊躇したりすると、自然に決断を促してくれる。そういう姿勢に私は「男らしさ」を感じました。
付き合ってからも元夫はグイグイとリードしてくれました。おしゃれなレストランやバーに連れて行ってくれたり、記念日にはきちんと花やプレゼントを用意してくれたり。まるで「女の子の喜ぶツボ」を分かっているかのようで、私は何度も心をときめかせました。
これまでの恋愛では相手に合わせすぎて曖昧になってしまうことが多かった私にとって、元夫の自信に満ちた行動や演出は新鮮で心地よく、「この人となら守られる」という安心感を覚えたのです。気づけば私は流されるように、けれど納得感を持って30歳のときに結婚していました。
結婚生活の変化とすれ違い
結婚して最初の頃は、元夫は以前と変わらず私を大切にしてくれていました。週末はデートを楽しみ、平日も一緒に夕食をとり、穏やかで安定した日々が続きました。私は「これが理想の結婚生活なのかもしれない」と思っていました。
けれど、時間が経つにつれて少しずつ変化が訪れました。
飲み会と朝帰りの増加
元夫は商社勤めらしく交際範囲が広く、結婚しても飲み会の頻度は減るどころか増えていきました。
「仕事の付き合いだから仕方ない」と言われればそれ以上は言えませんでしたが、平日でも週に一度は必ず予定が入り、遅く帰ってくるのが当たり前に。
ときには終電を逃して朝帰りすることもありました。そんなとき私は「本当に仕事なの?」と疑いながらも、問い詰める勇気はありませんでした。ただ不安を飲み込み、「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせていました。
亭主関白な一面
家庭では、元夫はどこか亭主関白なところがありました。家事や食事は「仕事が忙しいんだから」という雰囲気で、自分の予定を優先することも多く、私は合わせざるを得ませんでした。
「私が我慢すれば家庭はうまくいく」――そう思い込んで、感情を抑え込むことが習慣になっていきました。
子どもの話は曖昧なまま
私は結婚したからには子どもを持ちたいと考えていました。けれど、元夫とはきちんと話し合えないまま時が過ぎました。
「そのうち考えよう」「今は仕事が忙しいから」と言われ、先延ばしにされ続けるうちに、気づけば数年が経っていました。
元夫の夜の外出が増えるたびに、私は心のどこかで「浮気しているのでは」と勘づいていました。でも、あえて確かめようとはしませんでした。知るのが怖かったのです。
「元夫は多分浮気している。でも私は、それを知りたくない。そのままでいたい」――そう思うことで、自分を守っていたのだと思います。
突然のオープンマリッジ提案

そんな日々、突然元夫からオープンマリッジの話題が出ました。
耳を疑った瞬間
ある夜、元夫は珍しく真剣な表情で切り出しました。
「なぁ、オープンマリッジって知ってる?俺たちも考えてみないか」
その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。
「……つまり、私じゃ足りないってこと?」
そう問い返したとき、胸をえぐられるような痛みが走りました。
元夫は「今日すぐに理解してもらえるとは思ってなかった。これは一度で答えを出す話じゃない。ここから考えていこう」と冷静に返しました。
譲歩のように聞こえながらも、結局「いずれは受け入れろ」と迫られているようにしか思えませんでした。
子どもの話が先じゃないの?
私たちは結婚して何年も経っていましたが、子どもを作るかどうかの話は曖昧なままでした。
私はずっと望んでいたのに、元夫は「そのうち」「今は忙しいから」と言って先延ばしにするばかり。
そんな大切な話をしっかりできていないのに、先に出てきたのが「オープンマリッジ」。
心の中で叫びました。
「子どものことすら話せてないのに、どうして他の人と関係を持つなんて話ができるの?」
「母になれなかった私は、もう女としてすら必要とされないの?」
ショックと絶望で、心がズタズタになっていきました。
正当化にしか思えなかった
さらに私は気づいてしまいました。
元夫は遊びたい自分を正当化したいだけなのではないか。
そして、もし離婚になれば資産を失うから、それを避けたいのではないか。
「家庭は壊したくない」「お前のことは大事だ」と言いながら、外では自由に遊びたい。
そのための言い訳が「オープンマリッジ」だとしか思えませんでした。
「こんな提案をされるくらいなら、いっそ普通に浮気してくれた方がまだマシだ」
そう思うほど、屈辱的で惨めな気持ちになったのです。
オープンマリッジへの拒絶と葛藤
最初の拒絶
「そんなの絶対に嫌。気持ち悪いし、夫婦である意味がない」
私は涙声でそう言い放ちました。
元夫は顔をこわばらせ、低い声で言いました。
「……今日すぐに理解してもらえるとは思ってなかった。これは一度で答えを出す話じゃない。ここから考えていこう」
その言葉は譲歩のように聞こえながら、結局は「いずれは受け入れろ」と迫られているようにしか聞こえませんでした。
2週間の冷戦
その日から、私たちの間には重たい沈黙が流れました。
食卓では必要最低限の会話しかなく、同じ部屋にいても心は遠く離れている感覚。
夜、布団の中で背を向け、声を殺して泣きました。
「私は妻としても女としても、もう必要とされていないのかもしれない」
「拒絶し続けたら、きっと私は捨てられる」
不安と恐怖で押し潰され、眠れない夜が続きました。
誰にも言えず、占いにすがる

この悩みを、私は誰にも打ち明けられませんでした。
友人に言えば軽蔑され、親に言えば心配され、同僚に言えば噂になる。
孤立感に耐えきれず、私はスマホで「オンライン電話占い」を申し込みました。
「元夫から……オープンマリッジを提案されました。気持ち悪くて、苦しくて、どうしたらいいかわかりません」
震える声でそう告白すると、電話の向こうから落ち着いた声が返ってきました。
「あなたは都合のいい存在なんかじゃありません。無理に合わせる必要はないんです。まずは、自分の気持ちを大切にしてください」
その言葉を聞いた瞬間、心が崩れ落ち、声を押し殺して泣き続けました。
「やっと……誰かが私の気持ちをわかってくれた」――そう思えたのは、そのときだけでした。
断りきれずに
けれど現実は残酷でした。
元夫は譲る気配を見せず、私は「拒否したら離婚されるかもしれない」という恐怖に縛られていました。
「家庭は壊さない」「君のことは大事だ」「大好きなのは変わらない」
元夫が繰り返す言葉に、私は次第に抵抗できなくなっていきました。
そしてついに私は小さな声で答えてしまったのです。
「……家庭を壊さないなら、お互いに別の相手がいてもいい」
その瞬間、自分が自分でなくなるような感覚に襲われました。
「私は嫌で仕方ないのに、夫を失うのが怖くて従ってしまった」
そう気づいたときには、もう後戻りできませんでした。
5. オープンマリッジの実践と崩壊

夫だけが楽しそうだったオープンマリッジ
オープンマリッジを受け入れてから、元夫はすぐに女性との関係を持ちはじめました。
週末だけでなく、平日もほぼ毎週のように予定を入れて出かけるようになり、帰宅が遅いのが当たり前になっていきました。
「やっぱり俺はまだ男として見られる」
そんなふうに自慢げに語る元夫は、むしろ生き生きして見えました。
私は黙って聞くしかなく、そのたびに虚しさが心を蝕んでいきました。
私にはできなかった
一方で、私は他の男性と会う気持ちにはなれませんでした。
アプリを開いても、メッセージを返そうとしても、指が止まってしまう。
「家庭を守るために受け入れただけ」で、本心から望んだわけではなかったからです。
私にとってオープンマリッジは「自由」ではなく「孤独」でした。
愛情が冷めていく日々
元夫は楽しそうに外へ出かけ、私はその影でひとり泣いていました。
隣に並んで眠っていても、もう彼は私に触れることはない。
「夫婦」という形だけが残り、心は空っぽになっていきました。
「私は何のために妻でいるんだろう」
そう問い続けるうちに、愛情は冷め、希望も消えていきました。
崩壊と決断

そんなつらい感情を抱えながらギリギリ生きてきた私はついにオープンマリッジに対し決断を下すことにしました。
愛も自由も失った私
元夫は「自由」を楽しみ、私は「孤独」に沈み続けました。
オープンマリッジは自由のはずが、私にとってはただの地獄でした。
誰にも頼れない孤独
夜中にふと目が覚めても、隣には元夫がいない。
LINEは既読がつかず、帰宅は明け方。
問いただすことすらできない自分が情けなく、涙が止まらない夜を何度も過ごしました。
表面上は「順調な夫婦」を装っていたからこそ、誰にも「助けて」と言えず、孤独だけが深まっていきました。
36歳での離婚
「もうこれ以上は無理。一人で生きていく方がまだ自分らしい」
そう思った私は、36歳のときに離婚を切り出しました。
離婚届に判を押した瞬間、心の奥に絡みついていた鎖が外れたように感じました。
「オープンマリッジを受け入れても、私は幸せじゃなかった」
そう声に出したとき、涙は悲しみではなく、解放に近いものでした。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今回はオープンマリッジの失敗談を紹介してきました。オープンマリッジは一見「自由」に見えるけれど、お互いが本当に望んでいなければただの苦しみです。
私は「嫌だ」と言えず、元夫に合わせてしまった結果、自分をすり減らし続けました。
我慢は優しさではなく、自分を壊すことだと身をもって知りました。
36歳で離婚した今、私ははっきりと言えます。
夫婦の形よりも、自分の気持ちに正直でいることが何より大切だと。
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