「親だから仕方ない」「血がつながっているから我慢しなければ」――そう思い込み、苦しみを抱えながら過ごしている人は少なくありません。 けれど、そのつながりがあまりにも自分を傷つけるものなら、思い切って手放すことが必要になることもあります。
今回ご紹介するのは、自己愛性パーソナリティーを持つ母親のもとで育ち、長年支配に苦しんできたYさんの体験です。 誕生日や七五三のような「子どもの日」さえ母の承認欲求の道具にされ、進学や恋愛といった大切な人生の選択肢もことごとく奪われてきました。 それでも、Yさんは勇気を出して母と絶縁し、自分の人生を取り戻しました。
そこで今回は、Yさんが毒親と過ごした日々から、絶縁を決意するまで、そして絶縁して得られた「スッキリ感」や心の変化についてご紹介します。 同じように悩んでいる方にとって「縁を切る」という選択がどんな意味を持つのか、少しでも参考になれば幸いです。
自己愛性パーソナリティーの母に支配され続けた日々

私の母は自己愛性パーソナリティーを持ち、常に自分を中心に世界が回っていなければ気が済まない人でした。 母の口癖は「産んであげたんだから感謝しなさい」。愛情を注ぐどころか、私の存在そのものを支配するための言葉でした。
母にとって「子どもの日」は存在しなかった
誕生日や七五三など、普通の家庭なら子どものために祝ってくれるような日も、母にとっては「自分がどう見られるか」の日でした。 綺麗な着物を着せられても「笑顔が足りない」「姿勢が悪い」と怒られ、プレゼントをもらえることもなく「本当に手がかかる子」とため息をつかれる。 本来なら嬉しいはずの行事が、私にとってはただ怒られるだけの日になっていました。
思い出すのは、私の誕生日にディズニーランドへ連れて行ってもらった日のこと。 「特別な一日にしてあげる」と言いながら、母の浮気相手も同行していました。 私は主役のはずなのに、母と相手が楽しそうに笑い合い、置き去りにされた気持ちで過ごしました。 「祝ってもらえた」というより、母の都合で連れ回されただけでした。
さらに忘れられないのは、私の誕生日に突然「今日、離婚したから」と告げられたこと。 子どもを第一に思うはずの日に、母は自分の人生の区切りを優先しました。 誕生日は、祝福の記憶ではなく母の出来事に上書きされる日になっていったのです。
進路や恋愛すら母に支配された
第一志望の大学入試の日。母は「会場まで送ってあげる」と約束していました。 けれど当日の朝になって「妹の用事があるから一人で行きなさい」と突き放され、私は電車で向かいました。 結果、遅刻してまともに受験できず、補欠合格のまま不合格に。 母は私の人生の大切な瞬間を台無しにしたのです。
恋愛も同じでした。交際に発展しても「そんな人はダメ」と否定され、私の知らないところで彼に嫌がらせを繰り返されました。 最終的に彼は「君のお母さんと関わるのは無理だ」と去っていきました。 進路も恋愛も、母の承認欲求を満たすための道具にされ、私の人生はことごとく壊されていきました。
絶縁を決意した瞬間

「親だから仕方ない」「親に逆らうのは良くない」――そう言い聞かせながら、私はずっと自分を押し殺して生きてきました。母の言葉や態度で傷ついても、「親なんだから」と我慢するのが当たり前だと思い込んでいました。血のつながりを理由に、どんなに心を削られても縁を切ることは許されない。そうやって自分を縛りつけていたのです。
けれど、あるときふと気づきました。母と接したあとは、必ず心がボロボロになっている。夜眠れず涙が止まらない。翌日も体が重くて仕事に集中できない。友人と会っても笑えないし、恋愛関係はことごとく母の干渉で壊されていく。そんな生活が「当たり前」になっていたことに、ようやく気づいたのです。
さらに、体も限界のサインを出していました。食欲がなくなり、肌荒れや頭痛が続き、朝起きることさえつらくなる。病院に行けば「ストレスですね」と言われるだけ。心も体も少しずつ削られていく感覚に、「このままでは本当に壊れてしまう」と強い恐怖を覚えました。
「親だから仕方ない」という言葉が、私を守ってくれるどころか、むしろ自分を追い詰める鎖になっていたことに気づきました。親であっても一人の人間。毒を吐き続け、私の人生を壊していく存在と距離を置くことは、決して「悪い子」になることではない。むしろ、自分を大切にするための自然な選択なのだと。
その瞬間、胸の奥に張りつめていた糸がぷつんと切れるような感覚がありました。心の奥から小さな声が聞こえました。
「もう限界だ。私は、私を守るために、この人から離れよう」
それが、私が絶縁を決意した瞬間でした。涙は止まりませんでしたが、その涙はこれまでの絶望だけではなく、ほんの少しの「解放」の予感を含んでいました。
絶縁して訪れた変化

絶縁した直後、最初に訪れたのは――「静けさ」でした。
今まで当たり前だった怒声や干渉が聞こえない。電話の着信音に怯えることもなく、夜も気を張らずに眠れる。家にいるだけで緊張していた心と体が、ようやくゆるみ始めました。
その静けさは、最初は不思議なほど落ち着かず、むしろ「何か起こるんじゃないか」と逆に不安になる瞬間もありました。けれど次第に、心の奥に広がる空間に気づきました。呼吸が楽になり、深く息を吸えるようになった。小さなことですが、その瞬間に「私は今、自由なんだ」と実感できたのです。
もちろん、罪悪感がまったくなかったわけではありません。
「親を見捨てたのではないか」「自分は冷たい人間なのではないか」と、夜中に涙がこぼれることもありました。けれど、そのたびに自分に言い聞かせました。
「私は悪いことをしたのではない。自分を守るために必要な選択をしたんだ」と。
日が経つごとに、罪悪感は少しずつ小さくなっていきました。その代わりに育っていったのは「これで良かった」という確信。朝目覚めたとき、誰からも罵倒されない日常の幸せを噛みしめるたび、その思いは強くなりました。
そして気づけば、心だけでなく身体の調子まで整っていきました。食欲が戻り、夜はぐっすり眠れる。鏡を見て、少しずつ表情が柔らかくなっている自分を発見したとき、「やっと自分の人生を生き始めたんだ」と深い実感が込み上げてきました。
最終的に、私はスッキリとした気持ちにたどり着きました。
「あぁ、これで良かったんだ」
その一言に尽きます。長年まとわりついていた重たい鎖が外れ、やっと本来の自分に戻れたのです。
毒親から絶縁するにあたり支えになったもの

それでは私が毒親から絶縁する際に心の支えとなったものを紹介させていただきます。
まずは一人で抱え込まないこと
毒親との関係を周りに話しても、ほとんど理解されませんでした。 「親なんだから本当は心配してるんだよ」「もう少し歩み寄れないの?」 そんな言葉を返されるたびに、私はますます孤独を深めていきました。 だからこそ、心の中にある苦しみを一人で抱え込むしかなかったのです。
でも、人は本当に限界まで一人で耐えることはできません。 私の場合、誰かに話すことができたのは友人でも家族でもなく、占いをしてくれた人だけでした。 「あなたの感じていることは間違っていないよ」と否定せず受け止めてくれたその言葉で、どれだけ救われたか分かりません。 初めて「誰かに理解された」と感じ、胸の奥が少しだけ軽くなりました。
占いは、唯一悩みを打ち明けられる場所だった
正直に言えば、私は占いを「未来を当ててもらうため」に利用したのではありません。 母との関係を誰に話しても理解されず、「親なんだから心配してるんだよ」と突き放されるばかりで、 どこにも本音を吐き出せる場所がなかったのです。
そんなとき、唯一安心して話せたのが占いでした。 「あなたの感じていることは間違っていない」「逃げたいと思うのは自然なこと」 そう言ってもらえたとき、涙が止まらなくなりました。 世間の誰も分かってくれない孤独の中で、否定せずに耳を傾けてくれる存在に出会えたことは、 どんな言葉よりも心を支えてくれました。
占いは、私にとって“当たるかどうか”よりも、 「誰にも理解されなかった自分の苦しみを初めて安心して話せる場所」でした。 それがどれほど大きな救いだったかは、同じ経験をした人なら分かってもらえると思います。

護符は、心の置き所になった
絶縁しても、母からの着信履歴を見るだけで手が震え、夜眠れなくなることがありました。 そんなとき、私にとって護符は単なる紙切れではなく、心の置き所でした。 誰も守ってくれない、誰も理解してくれない――そう感じる中で、護符を握ると「私は守られている」と思えたのです。 実際に母の連絡が止まるわけではなくても、気持ちが少し落ち着くだけで生き延びられる夜がありました。 あの感覚は、同じように追い詰められた人にしか分からないと思います。

パワーストーンは孤独を和らげてくれた
私にとってパワーストーンも“特別な意味”を持っていました。 オニキスやモリオンをポケットに忍ばせるだけで、「不要な縁は近づけない」と自分に言い聞かせられたのです。 正直、石そのものに不思議な力があるのかどうかなんて分かりません。 でも、孤独で押しつぶされそうなときに、手の中で石の感触を確かめるだけで「私はまだ大丈夫」と思えました。 その小さな安心が、次の日を生きる力になったのです。

まとめ
今回紹介してきたように毒親と絶縁することは簡単ではありません。罪悪感も孤独も伴います。 けれど、苦しみ続けるよりも、自分を守る選択をして良いのです。
私は母と絶縁して、初めて「自分の人生を生きている」という実感を得ました。 心がスッキリし、自由に呼吸できるようになった。 そして今も少しずつ、私の人生は回復し始めています。
この記事が、同じように苦しむ方の背中を少しでも押せたら幸いです。 あなたは幸せになっていい。あなたの人生は、あなた自身のものなのです。
コメント