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鎌倉時代は今まで政権を握っていた貴族にとってかわり、日本の歴史上初めて武士・侍が政権を握った時代です。武士の存在感も増していったそんな時代に、武士たちはどんな一日を過ごしていたのでしょうか。

今のようにテレビもスマホもない時代に武士たちが何をしていたのか気になります。そこで今回は武士が初めて政権を握った鎌倉時代での武士の一日のルーティンを見ていきます。

起床: 4時~5時


武士の朝はとても早かったのです。日の出の朝4時5時頃には起床していたのです。朝が辛い現代の人は、昔の武士たちはもっと朝早く起きていたことを意識すると少し気持ちが軽くなるかもしれませんね。

武芸の稽古: 5時~7時


朝早く起きた武士はそのまま朝の武芸の稽古を始めていました。こんなに朝早く稽古をするなんて中学生高校生の部活の朝練のようですね。

武芸の稽古以外にも犬追物(いぬおうもの)、笠懸(かさがけ)、流鏑馬(やぶさめ)に励んでいました。犬追物とは限られた稽古場の中で犬をたくさん放ち、武士が馬に乗って何匹弓矢でいる射ることができたかを競う稽古です。笠懸とは静止した馬の上に乗った武士が的にした笠を弓矢で射る稽古を指します。流鏑馬とは武士が馬に乗り走りながら的に弓矢を射る稽古を指しています。

この犬追物、笠懸、流鏑馬の3つの稽古を騎射三物と呼ばれていました。日本刀で戦う印象が強い武士ですが、当時の戦では弓矢が中心でした。そのため武士たちにとってこの騎射三物は必須の訓練だったのです。

朝食: 7時~8時

朝の稽古が終わると朝食の時間です。武士たちの食事は1日2回で、朝食は米飯と「一汁一莱」ととても簡素で質素なものでした。お米は白米ではなく玄米を食べていました。しかも玄米は炊いたものではなく蒸した玄米でした。蒸した玄米は強飯と呼ばれ、一日で5合もの強飯を食べていました。

「一汁一菜」と聞くと量がとても少ないように見えますが、玄米のままなので栄養状態は、むしろ現在よリバランスがとれています。玄米は白米よりもビタミンやミネラル、センイ質の含有量が多く、一日五合だと米だけで約2400カロリーになり、これは現代日本人の成人男性の摂取カロリーと同じである。「一汁一菜」を考える合計で3000カロリーは超えていました。

また武士たちはいつ戦が起きても迅速に対応できるように素早く食事をしていたといわれています。戦が続く時期にはカロリーが必要なので食事の回数を1日2回から3階へ増やしていたともいわれています。

農地の施策: 8時~12時


稽古を終えた武士の中で、役職が上の武士は領地の農地で農民たちの農作業の視察へ行っていました。というのも鎌倉時代では農民たちが侍たちが農民たちを従えて、農民たちが収穫した農作物によってグループ全員を支えるという経営を行っていたため、農地の施策はとても重要なものだったのです。

役職が低い武士たちは朝に稽古は行わず、朝食の後に武芸の稽古をしていたといわれています。

自由時間:12時~17時

農地の視察後は武士たちにとって自由時間で様々なことをしていました。書物を読み勉強に励む武士もいれば、再び武芸の稽古に励む武士もいました。

夕食: 17時~19時

自由時間を終えると武士たちの夕食の時間です。基本的には朝食同様の質素な食事ですが、たまに肉料理がでていたと言われています。実は当時、肉料理を食べていたのは武士と農民たちで貴族や僧侶は食べていなかったのです。というのも貴族や僧侶はそれぞれの信仰上、肉料理を食べることができなかったのです。武士や農民たちは肉料理を食べていることで、貴族や僧侶たちから軽蔑されていましたが、中には肉料理を食べている武士を羨む貴族や僧侶も存在していました。そんな貴族や僧侶は隠れて武士たちから肉料理を貰い食べていたといわれています。

また侍や農民たちが食べていた肉は農業で必要な牛や馬ではなく、猪や鹿、熊、タヌキなどでした。鎌倉時代において非常に重要であった農業を支える家畜を食べることはしなかったのです。

就寝: 20時

夕食後、武士たちはすぐに就寝の準備に入ります。というのも現代のような電気や明かりがないので暗くなったらすぐに寝るという流れでした。

ちなみに武士たちが利き手が上になるように寝返りを打って寝ていました。というのも夜襲や急な戦になった際に、刀を握る利き手が痺れてしまってはいけないので、聞き手を上にして寝ていました。

まとめ

いかがでしたでしょうか。鎌倉時代の武士たちの一日を見ていきました。基本的には日の入りとともに起き、日の入りとともに寝る生活で、その間に武芸の稽古や農業の管理、書物の勉強などを行っていました。

質素な生活ですが、こうした生活をする武士たちに日本は支えられていました。武士たちに興味を持った方はぜひほかの記事も読んでみてください!